永井ギャラクシー せいかつ部

関西を拠点とするウェブ制作チーム“永井ギャラクシー”の台所。せいかつ部部長(せ部長)が担当します。今は更新停止中ですが、いつか復活するかも??

佐野氏のエンブレム騒動に含まれていた問題一覧とその感想(まとめ)

こんにちは、せ部長です。
佐野さんのエンブレムの件、今までつくる部のほうに書いていましたが、今回はウェブと関係ない内容も含んでいるのでこちらに書きました。

この騒動、最初は軽い気持ちで書いていたのですが、今となってはいろんな種類の問題が混在していて考えさせられることが多かったです。

昨日、使用中止との結論が出、たぶん終息に向かうと思うので、最後にそのいろんな種類の問題をひとつずつ整理しておこうかなと思います。

 

デザインの問題 → 少数のプロが牽引するデザインと、大衆ウケするデザインに優劣はあるのか

自分がSNSを見ていた限りでは、一般の人のおおむねの評価は「嫌い=ダサいデザイン」という印象でした。

一方、デザイン業界やデザインに関心のある人の評価は、「好みではないけど良いデザインだと思う」や「かっこいいし良いデザインだと思う」などに分かれていた気がします。(自分も、好みではないけど、今回オリンピック委員会は先鋭的でシンプルなのを良しとしたのだろうと思ってました)

業界人と一般人で、デザインに対する考え方が二極に分かれ、対立している感じがありました。

少数のプロ(技術も知識もある人)が牽引するデザインが正しいのか、一般ウケするデザインを選ぶのが民主的で正しいのか、または一歩先行く難解なデザインと、親しみやすいデザインで優劣があったりするのか等々、ふたつを天秤にかけるような状況があったように思います。

それで自分もそれについて考えていたのですが、ちょうど佐藤卓さんが日経ビジネスオンラインの連載の中でこんなことをおっしゃってました。

business.nikkeibp.co.jp

デザインとはまだ世に出ていないもの、これから世に出るものに施されるものです。つまり未来の世界を具現化するのがデザイン。だからデザインを選ぶ仕事は、「目利き」でないと無理です。民主主義が機能するのは、ものができてから。つまり、誰かがデザインした商品を、実際に消費者として購入する瞬間。そのデザインが本当にいいものかそうでないかは、市場という民主主義が決める。

タイトルは民主主義を否定しているようですが、本文には、「目利き」が生み出し「市場」が良し悪しを判定する、つまり2ステップあって両方必要との内容が書かれていました。

これはデザイン以外のあらゆる「プロ」と「市場」のあいだに言えそうだなとも思いました。そしてそれぞれ別の機能をしているので対等と言えるかなと思いました。

 

余談ですが、ネット上の対立を見ていて、ひとつ思い出したことがあります。そういえば、以前も記事にさせてもらった「村上さんのところ」にこういったことが書かれていたなぁと。

推敲にとってもっとも大事なのは、親切心です。読者に対する親切心(サービス心ではなく親切心です)。それを失ったら、小説を書く意味なんてないんじゃないかと僕は思っているのですが。

読者の、

「自分は村上作品が一番読みやすいと思うのだけど、それは推敲をかなりかさねているせいか?(意訳)」との質問に対する答えにこう書かれていました。

同じ伝えたり表現する仕事として参考になるなぁと記憶していたのですが、ネット上の意見を見ていて、こういった方向でのプロ意識を大切さをあらためて感じました。

 

選考プロセスの問題 → 決定案のコンセプトが原案になかったのはいいのか

決定案のコンセプト(亀倉雄策の正円、BodoniやDidotのフォント等)が原案になかったけど、それってOKなのか。Aというコンセプトのものを採用して、その後別Bに変えるのはOKなのか?明確な選考基準はあったんだろうか・・・という疑問を、原案公開後に持った人は多いと思います。

佐野さんはベルギーの劇場リエージュのロゴの盗作が疑われた際、コンセプトや制作過程が違うからベルギーのものとは別物だといった主張をしておられたように思います。

つまり、完成形の見た目より、コンセプトや制作過程こそデザインのアイデンティティの主軸だという主張ではなかったかと思います。

そうであるなら、原案と決定案でコンセプトが違うものを「同じデザイン」と扱うことと矛盾するような気がします。

これは選考委員やオリンピック委員会とのやりとりの間に起きた矛盾だと思うので、佐野さん個人の問題ではなく、体制的な問題かなぁという気がします。

ただ、自分の経験でも、いろんな事情でプロセスむちゃくちゃだけど、なんとかかたちにできて納品できたからオッケーだ、みたいな状況は、正直多かったです。

そんな現実だからこそ、コンセプトからプロセスからちゃんと時間をかけてていねいに積み上げた、一流の仕事に憧れをいだいたりします。

そしてそんな仕事をやっているのがオリンピックの佐野さんだと思ってたけど、途中でコンセプトは変わっていた。

あれっ?と思いながらも、なんとなく状況を想像できてしまう、というのが正直な感想でしょうか。

 

倫理的な問題 → 他を参照するのはどこまでがOKでどこからがパクりか

これはデザイナーに限らず、あらゆる「つくる」仕事をしている人にとって切実な問題ではないでしょうか。

どこまでが正当な参照で、どこからがパクりか。

職人さんの世界でも「技は盗むもの」みたいな言い方がされたりするし、自分のウェブの経験でも、他のデザインをたくさん見ていいところを盗め、むしろ自分の頭の中だけで生み出そうとするほうが邪道だとも言われました。

専門性の高い分野での技術の継承においても、デザインをする過程の中でも、「盗み」はあるラインまで正当な行為のように思います。

だけどどこまでが正当でどこからがNGなのかを人に説明するのは難しいです。なんとなく、ここから先はモラル違反かなという感覚はあるのですが。

音楽の場合、コード進行や技法を真似してもパクりにはなりにくいと思いますが、キモになるメロディを、「おいしい」と知りながら真似するとパクりになるかなぁという気がします。もしかしたらデザインや他の分野でも同じことが言えるかもしれません。

例のトートバッグの水に浮く女性は、そういったキモになる部分がそのまま使われていたので取り下げになったんだろうなと思います。エンブレムに関しては、原案も決定案も、たぶん偶然似ただけではないかなぁと思いますが、本当のところはわかりません。

この「どこからパクりか」という感覚は、グラフィックソフトの力で簡単に真似できてしまうとか、画像検索できてしまうとか、プログラミングの世界のオープンソースの感覚とか、ネットの気軽に共有する感覚とか、そういう技術や時代的なことも影響してそうな気もします。

 

法的な問題 → 著作権の問題等

画像の無断利用や著作権等は、わかりにくいとはいえルール化されてるので、その都度気をつけながらやっていくしかないなぁと思います。そのへんはこちらの記事がわかりやすかったです。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

組織的な問題 → 不信や感情的なこと

これはウェブ制作者というより一傍観者としての感想ですが、佐野さんやエンブレムと直接関係のない、中枢にある組織(オリンピック委員会とか、デザイン・広告業界とか、国を司る人たちとか)への不信や、よくわからない感情的なものも一個人にぶつけられた印象がありました。

根拠のある不信も、根拠のない感情的なものも、両方あったと思います。表に名前の出た人だけが一身にその批判を浴びるのは起こりがちなことですが、やはり理不尽だなぁと思いました。

今回の批判の内容を、佐野さん個人に非があることと、佐野さんと関係ないことに分けたらどれくらいの割合になるだろうと思うのですが、組織への不信や根拠のない感情的なもののほうが大きかったのではないかなぁという気がします。

 

ということで、最後のは自分の分野と関係ない内容ですが、いろいろ学ぶことの大きい事件でした。

次からは頭を使わなくても書ける軽い内容に戻したいと思います。