永井ギャラクシー せいかつ部

関西を拠点とするウェブ制作チーム“永井ギャラクシー”の台所。せいかつ部部長(せ部長)が担当します。今は更新停止中ですが、いつか復活するかも??

祖母はフリーランスの先輩

こんにちは、せ部長です。

今日は私の祖母について書いてみようと思います。

なぜこのブログにそんなこと書くのかというと、私のおばあちゃん、そういえばフリーランスだったなぁ・・・ということに気づいたからです。(確定申告とかしてんたんだろうか)

祖父母の家は私の家から車で15分ほどのところにあったので、しょっちゅう遊びに行ってました。祖父母には、初孫の私はずいぶんかわいがってもらいました。

おばあちゃんは在宅で着物を縫う仕事をしてました。仕事場は2階にあり、横長の低い作業机の前に正座し、背中を丸めて作業する姿は私にとっていつもの当たり前の光景でした。1階の応接室で雑談している最中にも、よく「ちょっと仕事してくるわ」といって上がっていきました。私はそんなおばあちゃんの様子をしょっちゅう見に行ってました。今思うと邪魔だったでしょうね(笑)。のんびりとした、怒ったりしないおばあちゃんなので、全く気づいてませんでしたが。

ということで、私たち姉妹やいとこが正月や七五三で着る着物はいつもおばあちゃんが縫ってくれ、母と2人がかりで着付けしてくれてました。物心つく頃からそうだったので、それが当たり前と思ってました。

そんなふうにあまりに当たり前のことだったので、大人になり、おばあちゃんが亡くなってしまうまで、おばあちゃんついて、特に職業について深く知ろうとしたことがありませんでした。しかし母に聞くところによるとなかなかバイタリティーのある人だったようです。

祖母にはお兄さんがいたのですが、そのお嫁さんと相性が悪かったらしいです。そのため早く家を出たいということで、着物を教えてくれるところへ奉公(見習い修行)に出たらしいです。まだ当時十代半ばと言ってたような。行動力ありますよねぇ。

ところが最初に奉公に行った家はまったく着物の縫い方を教えてくれず、ずーっと子守ばかりさせられたとのこと。今で言うブラック企業的な感じですね。

ということで、そこは見切りをつけ、別のおうちに奉公に行って、修行し、めでたく独立。26歳頃には自宅に看板を出し、その後は家事や子育てと平行して仕事をしていたらしいです。一時は住み込みのお弟子さんもいたようで、母の姉(私の伯母)はそのお弟子さんに遊んでもらってたとのこと。このへん当時の時代背景がわかって面白いですよね。

ということで、あのいつもゆったり構えていたおばあちゃん、なかなか行動力のある人だったんだなぁと大人になって知りました。26ですでに独立し、家事子育てと仕事をこなしてたなんてかっこいい!と思いました。

それで思ったんですが、昔は丁稚奉公とか、家事雑用の片手間に仕事を教えてもらうスタイルが主流だったようで、今の人間からするとけっこう理不尽な就業形態のように思えます。仕事覚えたいのに、まずやらされるのは子守とか家事とからしいですから。

でもちゃんとその修行に耐えれば、26やそこらの若さで独立して看板上げることができるんですよね。他の人の例を知らないので、祖母が歩んだ道が当時の標準的なステップだったのかわかりませんが、10年くらい修行したら独立し、自分の裁量で仕事できるようになる!と思えば、がんばる気力も湧くかも知れません。そんなふうにがんばれるのは、今のようになんとなくおなかは満たせる、将来はともかく当面はなんとなく生きてはいれる、という時代ではなかったからかも知れませんが。

そして一度その技術を身につければ、ずっと食べていけたりするわけです。祖母も80歳頃まで着物を縫ってたように思います。(今のように技術の移り変わりもそんなに激しくなかっただろうし、オーソドックスな技術は長持ちするなぁとも思います。)

今は企業に勤めるのが主流で、祖母の頃と比較するとどちらにも良い面悪い面あると思いますが、働き方がぜんぜん違うなぁと思いました。

それと、今実際自分がフリーランスになって、当時の祖母の状況に「わかるわかる」ということも多くなってきました。

母曰く、納期前に間に合わなくなりそうになり、家族総出で手伝ったとのこと。そんなバタバタ、なんかわかるわぁ~・・・(笑)

おじいちゃんは国鉄職員(今だと公務員?サラリーマン?)だったのですが、とてもまめな人で、よく自分で料理して食べてました。家事など家のこともけっこう祖父がこなしていたように思います。

今思うと、男性が家のことをするというのも、当時は珍しかったんじゃないかと思います。それももしかしたらおばあちゃんのフォローせざるを得なくなって自然とそうなったのかも知れません。うちも今、できるほうが家事をやるというようになってきているので、たぶんそう経緯ではないかと。今の時代では珍しくもないことなんですが。

そんなこんなで、 今フリーランスになって祖母のことをより知ることができた気がします。納品が迫っていれば孫が遊びに来てようがなんだろうが仕事しなくちゃいけない。そんな気持ちが少しわかったかも知れません(笑)。

亡くなってもう何年も経ちますが、天国から「その調子」と言ってもらえるよう、(祖母のようにゆったり構えつつ)楽しくフリーランスやっていきたいと思います。